Until Then1
さぁ、今日も始めようっか。
BB P18から36まで、ご経歴でございます。
またNYでの状況もちりばめられていますね。
【NYでの出会い場面】
2013年9月NYの大学でジャーナリズムと写真を学んでいた。
学費の支払いに追われ生活は常に厳しく親の援助を受けないで生活していたので
翻訳・ベビーシッター・ピアノバー(日本人向けキャバクラ・クラブ)で働いていた。
ピアノバーは帰りが遅いので、当時のパートナー(彼氏)が心配するので、
出勤は少なめだった。
そのピアノバーで山口さんと会う。
自分がジャーナリストを目指していると話して、その場は盛り上がり
名刺をもらった「機会があったらニューヨーク支局を案内するからメールをください」と言われた。
割とすぐに山口氏から「ニューヨーク支局長とお昼食べてるから来ない?」と言われて出向いた。
山口氏は用事で支局に行った後立ち去り、支局長にNY支局を案内してもらった。
ん~
名刺をもらって、山口さんにメールを送ってたってことね。
お昼を食べに来ないって誘われた風だけど、名刺をもらっただけだと山口さんは彼女の連絡先は聞いてないってことだから、実際はアピったってことだね。
すぐにその場を立ち去っていることから、山口さんもただ紹介したっていうことだけですね。
【生い立ち】
「ベルリンの壁が崩壊した年、平成元年に生まれた」
自分の生まれた年を書くのに世界の出来事が先に来るのって普通だろうか、と考える。
0歳児ってまだ記憶も定かでないし、自分の家族がすべての世界で、出来事など知る由もないのだから、
いつ生まれた だけでいいのになと。
BIGな出来事と自分を結び付けたいのかなと。
男の子張りのやんちゃで、グーで男の子にパンチ
決めたことは曲げずに押し通す頑固
欲しいものは床に転がってでも大泣きして手に入れたい(結果スーパーに置いて行かれる)
冒険好き友達を連れて探検して夜遅くなり怒られたとか。
【ここで感想に】
ここで急に感想になる。
過保護すぎる親に育てられたらどうなっていただろう
団地のバルコニーをジャングルジムにして遊び、バルコニーから隣の友人の家に
侵入して遊んでた。自分の子供だったらノイローゼになってしまう。
きっと母は知らなかったのだと思う。
一番最後の行がなんで入っているか理由がわからない。
おそらく「母はノイローゼにはなっていないので」
を挿入しないと意味が通じない。
個人的にはここである性向が思い浮かぶ。
【妹】
妹ができ、妹が1歳の時近所の銭湯でモデル事務所のマネージャーに声を掛けられ妹をモデルにする気はないかとスカウトされる。
え?銭湯ですか。平成10年ぐらいに、銭湯でモデルスカウトですか・・・
ついでにと母親と彼女も事務所へ行き写真を撮られ、彼女だけが結局仕事をすることになり一人でオーディションやら現場に行っていた。
ブックを持ってオーディションは自分が商品になったような気がして居心地が悪かったが
現場は好きだった。作る側になってみたいと思った。
「自分が商品になったような気がして居心地が悪かった」
ねぇ
小学校高学年で、なんとなくの違和感というのは感じることはできるが、
人間を商品化する概念がわかるのは高校生ぐらいだと思う。認知のレベルが違うから。
これは後から付け足しで書かれている感じですね。
ってぇか、
妹がスカウトされたのに、なんで自分がモデル事務所で芸能活動なの?
ここでも論理の飛躍
で、
中学で芸能活動がばれ始めるといじめに会うように。
「目立ってはいけない」というお決まりのルールがあった。
少しでもはみ出たら「変わり者」にされてしまう。
敷かれたレールから降りてはいけない。
このころから閉ざされた学校という社会で生きづらさを感じていた。
は?勘違いしてんじゃないの?
いじめはあったかもしれないけど、それは目立ってはいけないルールがあるからかどうかはわからないし、はみだしたら「変わり者」にされるかどうかってーのもわからない。
個人的には、小学校時代周りに劇団やったり、ある歌手のバックバンドのキーボードやってたり、映画監督の子供で制作した映画のTシャツ着てくる子とか色々いたけど
だから何?だった。
いじめられっ子と芸能活動は関係ない。
こういう抽象化概念を感じるのも中学では無理だ。
後付けで、「きっとそう思っていたんだ」と考えて書かれたものですね。
大体、レールの上とか陳腐じゃね?
学校で、規律を学ぶ時代なんだから当たり前じゃないですか?
なじめなかっただけでしょ?
生きづらさは他人のせいですか?
こちらで補わないと読めない文章は、まえがきから続きます。
これきっと最後まで続くんだよね・・・
読みずらい。
でもご経歴はまだ半分。
なんとも不思議な学歴編が次回です。
ではでは。